・九月十九日。正岡子規(1867〜1902)の命日。脊椎カリエスにより死去。享年34歳。
新聞記者・俳人・歌人・随筆家として活躍。
・本名は常規、幼名は升。
・松山中学から明治16年に上京し、『獺祭書屋俳話』で俳句の独立を説き、革新を推進。
・病床生活の中で多くの作品を残した。墓は東京田端の大竜寺にある。
・日本一有名な近代俳句と言っても過言ではない、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだ。無類の果物好きであったが、果物以外にも食べることが大好きで、病の床に臥せってからも大量に食べた。
・百以上の俳号を持っており、「子規」というのは自身の喀血からつけたもの(子規=鳥のホトドギスのこと。喉の奥が赤いという)。
・俳句・短歌の両分野で革新を成し遂げた。「ノボさん」の愛称でも親しまれる。
| 読み | しきき |
| 分類 | 行事 |
| 音数 | 3 |
傍題
糸瓜忌獺祭忌
